« 2005年10月号 | トップページ | 2005年12月号 »

2005年11月号

更新怠っておりました。すいません。
2005年11月号の内容に対する質問はこちらにどうぞ

« 2005年10月号 | トップページ | 2005年12月号 »

コメント

この回で『悪霊』のキリーロフの台詞を取り上げられた際、「すばらしい」と意図的にひらがなにひらいた訳が、この場面で要求される効果を的確に上げていることを指摘されています。日本語の文学作品の中であるひとつの語を漢字で表記するかかなで表記するか、また、あてることのできる漢字が複数ある時そのうちのどれを使うかは、語単位のニュアンスや字面の印象だけでなく、記述の運動に沿うようにも選択されうると理解してよろしいでしょうか。

以前「文學界」のアンケートで、評論等では漢字を増して情報量を上げる、作品ではかなにひらく傾向にあると書かれていたと思います。今回の『悪霊』の訳文のようにある効果を狙ったケース以外でも、かなにひらいた方が記述の運動に寄与することが多いということでしょうか。たとえばリズムをつくったり、テンポを動かしたりしやすい、あるいは読み手がそれを感じ取りやすいといったことはありますか。

投稿: Gauche | 2006/05/07 00:42

ご無沙汰しております。大蟻食です。

ご質問は
1) 仮名表記・漢字表記の切り替えは、語のニュアンス・字面の印象だけではなく、記述の運動をも考慮して選択されるのか。
2) (漢字表記の方が同一の時間内に処理できる情報量が多いとすれば)仮名に開いた方がリズムやテンポを動かしやすくなるのか。
ということでよろしいでしょうか。

まず1)ですが、語のニュアンス、字面の印象とも、記述の運動の一部を担っています。従って、運動を形成する他の要素も、ということでしたら、その通りです。

2)ですが、必ずしもそうとは言いきれないでしょう。仮名に開き気味にすることのメリットは、漢字書きされた重要な語を浮かび上がらせることにあるとされていますが、やりすぎると緊張感を欠いたぬるい文章になります。

仮名表記の感触と漢字表記の感触は違いますし、それぞれのテンションもまた違います。テンポやリズムは両者を組み合わせることから(も、と言った方がいいでしょうが)生まれるので、どちらが、というより、どちらも、と考える方がいいのではないでしょうか。

投稿: 大蟻食 | 2006/05/08 16:14

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 2005年10月号 | トップページ | 2005年12月号 »