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2号室

このような内容証明が、小谷野敦氏から届いている。

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実際に名誉を傷付けられ公然侮辱されて受忍の限界を超えたということなら、実に可哀想だ、削除するかどうか検討してあげようと思ったのだが、残念なことにこの内容証明には、どのtweetのことかが明示されていない。こちらも過去に遡って見てみたのだが、名誉を傷付けたり公然と侮辱したりするような内容を含むものは発見できなかった。ただ、小谷野氏の著書「現代文学論争」が極めて多くの偏った主観による記述や事実誤認、錯誤に満ちていることを伝えたものが見付かっただけである。

それがどのようなものであるかの一例を、以下で指摘する。青が取り敢えず小谷野氏の間違いではない箇所、黄色は引用、赤で線を引いたのが、事実に即した客観的な記述とは言いがたい箇所だ。

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1. 「筒井康隆の恩顧を被っていたらしく思われるが」

全く意味不明。勘ぐりがちな人々にあらぬ憶測を与える以外の意図があるようには思えない。そういう意図はないと言うなら「恩顧」とは何を指すのかを具体的にした上で典拠を示すべきだろう。

2. 「九八年、平野啓一郎が『日蝕』(新潮社)でデビューして芥川賞を受賞、同作がベストセラーになると、ほぼ同時期に、新潮社から出ていた自作長篇『鏡の影』(一九九三)が絶版になったのを契機として」

読点の位置のため「ほぼ同時期に」がどこに掛かるのかわからなくなっている。以下に多少明確な文案を提案する。
 
 

「九八年、平野啓一郎が『日蝕』(新潮社)でデビューして芥川賞を受賞、同作がベストセラーになると、ほぼ同時期に新潮社から出ていた自作長篇『鏡の影』(一九九三)が絶版になったのを契機として」

 
 または

 

「九八年、平野啓一郎が『日蝕』(新潮社)でデビューして芥川賞を受賞、同作がベストセラーになるとほぼ同時期に、新潮社から出ていた自作長篇『鏡の影』(一九九三)が絶版になったのを契機として」

 
で、どちらも間違い。『日蝕』出版は1998年。芥川賞受賞は1999年一月。ホームページ上の記事「『バルタザールの遍歴』絶版のお知らせ」 は2000年4月で、一年以上の開きがある(その間に起った複数の出来事については同記事にある)。正確にはこう。
 
 
「九八年、平野啓一郎が『日蝕』(新潮社)でデビューして芥川賞を受賞、同作がベストセラーになるとほぼ同時期に、新潮社から出ていた自作長篇『鏡の影』(一九九三)が絶版になったが、その翌年」

 
校閲もろくに入っていないと見える。時系列さえ正確に把握していない。いい加減な本と言われても文句は言えないだろう。

3.「しかし二作は単に中世ヨーロッパを舞台としたゴシック小説だという程度の類似性しか持っていない」

現在では、多少の類似はあると考えておられるらしい。

それがいかなるものであるかは下の表をご覧いただきたい。

4.「佐藤もここでは「盗作」だとは主張していない。」

ここでもどこでも、盗作だと主張した事は一度もない。上記のブログ記事およびこちらをご覧いただきたい。

5.「平野は沈黙を守ったが」「名誉棄損で提訴していれば佐藤が負けたと思われる」

平野氏は2006年にブログで「読んだこともないし読む気もない」と否認したが、ホームページ上の記事の削除も求めておらず、提訴もしていない。提訴したら私の側の敗訴と予測するならばその根拠を示すべきだろう。

6.「ここに「被害妄想三人組」とも言うべきグループが成立するが」

具体的な病名を貼り付けちゃお仕舞だよ。診断書取ってくるかい? また、相互の連絡はあるがグループは結成していない。無理矢理私の名を出して事実無根の中傷を行うための稚拙な演出。

全体の行数は16行。引用が5行。錯誤・捏造は6行。辛うじて事実を述べおおせたのは僅か5行に過ぎない。非道いもんだ。

このような杜撰な内容を活字にした責任を小谷野氏に取っていだたこうとは、私は考えない。自分の書いたことに対して責任を負える状態にある方とは思っていないからだ。責任を問われるべきは、僅か見開き二頁弱でこれだけの問題を指摘できる内容のものを公刊した筑摩書房であろう。全体ではどのくらいの錯誤があるかは、想像するだに恐ろしい。

ただし、「構造的に似ている」と認めた後で、wikipediaの「佐藤亜紀」の項目に正反対の項目を書き加えるのは全く理解しかねる行為である。自著の間違いを間違いではないと言いくるめる役に立つとでも思ったのだろうか。

さて。

小谷野氏が「全く恣意的に選び出した」キングスレー『ハイペシア』でも『鏡の影』および『日蝕』との「話型」と一致する、とした、その一致箇所は以下の通り。

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『鏡の影』および『日蝕』と、『ハイペシア』の類似点・一致点として小谷野氏が挙げ遂せた点は僅か三箇所である。これでは、恣意的に選び出した作例でも類似は指摘できる、などと言えたものではない。プロットの抽出が殆どできないことはamazonでのとんでも書評でお馴染だが、御専門の比較文学に泥を塗ろうと言うのでなければ、もう少し真面目にやっていただくか——或いは、同時代の作品・作家については調査能力を根本的に欠いていることを認め、今後は資料の出揃っている過去の文学者の研究にお仕事を限定なさることだ。

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