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2006.10.21

9. 『メッテルニヒ氏の仕事』およびいじめの問題の続き

メール、途中で分けて答えさせていただきます。

From: "原 京子"
Date: 26 avril 2006 20:53:56 HNJ
To:
Subject: 長くなりますが

先日は「メッテルニヒ氏の仕事」その他について丁寧なご回答、ありがとうごさいました。

たびたびすみません。さらに質問を。
 
素朴な疑問ですが、伝記と小説の違いってなんでしょう。小説は書く前にどんなに資料を集めたとしてもそれを前面に押し出すことはできないけれども、逆に伝記ではそれをしないといけないとか?
 
また、お薦めの伝記作品はありますか?

それから、結構前にツヴァイクの「ジョゼフ・フーシェ」を読んだことがあります。(大蟻食さん推薦の「静粛に、天才只今勉強中!」を読んではまったのでついでに読んでみました。)読んだ時はそれが小説か伝記か気にしてなかったので、たぶん小説を読む感覚で読んでたのですが、もしかしてあれが伝記というものだったのでしょうか。
 
書き手としては小説と伝記ではどのように書く目的が違っていて、どのように表現が異なってくるのでしょうか。

小説と伝記の相違について、私が考えていることは二つです。

1. 吉村昭氏が生前どこかに書いていたことを記憶を頼りにご紹介します——御存知の通り吉村氏は限りなく実録に近いフィクションを書く方でしたが、その彼曰く、ある箇所で(生麦事件、だったかな)、資料にはいかなる記述もなかったので巻き上がる土埃の色を黒と書いたが、後で実際に現地の土の色が黒かったことを確認して、あれは成功だったと思った。

これが許容されるのは吉村氏が書いていたのが小説だからです。伝記の場合には、資料から近隣の土が黒土であると言う類推が成り立たない限り、黒と書くのは不可です。情景ではなく人間の行動を対象とした場合、これは一層厳格に守られる必要があります。何故なら、資料のない部分を想像で補った状況は、実際に資料が出て来た途端、色褪せるからです。ある状況において人間が取る行動というのは、しばしば、資料が出て来た途端、呆然とせざるをえないようなものです。かつ、どんな想像よりもしっくりと、その人間がどんな人間であったのかを語るものでもあります。

ツヴァイクの『フーシェ』は敬意を払うに足る仕事ですが、時として類推が想像の域に入ってしまい、結果としてフーシェを単純化しすぎているという気が今ではします。政治的人間と言うのはもっと複雑なものです。『メッテルニヒ氏の仕事』を小説ではなく伝記で書くのは、その辺の類推に通常以上に禁欲的であろうと考えているからです。ただし、おっしゃる通り、どこまでが小説でどこからが伝記と言う境界線がどこかに画然と引かれている訳ではありません。限りなく想像に淫する伝記も、限りなく禁欲的な小説も実際には存在するでしょう。

2. 次に問題になるのは、想像で補われた欠落部分は何故、実際に起った(と同時代の証言にあること)ことより単純なのか、です。

我々の想像や類推は、基本的には、ある種のドラマ性において行なわれます。つまりある人間を我々の知っている現実や架空の物語に当て嵌め、そこからどういう原因と結果の連鎖があり得るか、ありそうかを導き出す訳です。

小説においては、この連鎖は非常に単純化されることになります。登場人物は一つか、精々二つ三つの動機に促され、一つか、精々二つ三つの目的に向かって動いて行く訳です。そうした単純化に必ずしも害はなく、むしろ物語の輪郭をくっきりと切り出し、筋の動きを凝縮されたものにする役に立ちます。単純化が効果を上げた例を見たいという方は、ラクロの『危険な関係』をお読みになるのがいいかと思います。

ところで、現実の人間と言うのは、そういう絞り込まれた動機と目的によって動いている訳ではありません。実際に社会で働いている方なら、自分が仕事上の選択がどう行なわれているかを考えていただければお判りでしょうが、高邁な理想と単なる欲得が、長期的な判断と瞬間の気紛れが綯い交ぜになって個々の意思決定を作り出しており、かつ、複数の意思決定の間で起る干渉によって、目標は常に修正を余儀なくされ続けます。政治的な人間の場合は尚更です。高村薫氏はこれを、匂いを頼りに群れで川を遡行する鮭に喩えていましたが、政治的遊泳術から外交交渉に至るまで、彼らは相対的に動き続ける足場を定め、非常に広いターゲット——というよりはターゲットゾーンを目指して動き続ける訳です。メッテルニヒの場合は尚更でして、ウィーン会議の時などは同族から見ても異様なくらいに広い目標「圏」を設定していた結果、端からは迷走しているとしか見えない、錯綜した目的追求を行う羽目になっていました。

こういうことを小説として書くのは事実上不可能です。小説の体裁を取ってはいるが効果はまるで上がっていない代物になるか、極度の単純化に陥る羽目になるか(多くの中国権謀術数小説や信長秀吉家康小説は後者の例です——それはまあそれで面白かったりもするんですが)がオチですから。で、私としてはフィクションとしての効果は特に狙わない、可能な限り類推には禁欲的な伝記を書こうと考えた次第です。

で、二番目の話題に移ります。


それと、話は変わりますが、日記の方を読ませていただいていて、10月14日付、及び16日付けのいじめに関する記事について少々意見を申しあげたいと思います。
 
いじめに対する強い怒りを非常に力強く感じましたが、同時に、人間を「いじめる側」と「いじめられる側」に二分してしまっているような印象も受けたので、その点について違和感を覚えました。

といいますか、必ずしも大蟻食さんの文章が、というだけではなくて、いじめに関する様々な記事は、いじめられる側に立つにせよ、いじめる側に立つにせよ、読む側にその両者が全く異なる存在であるかのような印象を与えるものが多いことに、以前から疑問を感じていました。「いじめられる側にも問題がある」的ふざけた意見も、「いじめられる側」を自分に関係ないものとして扱う故なのかな、だとしたら「いじめる側」を自分に関係ないものとして扱うのはどうなんだろう、とも思います。
 
うまくいえませんが、いじめられている時に一番辛いのは、人間扱いされない、ということではないかと思います。他人を人間扱いできない人間は病気だとも思いますし、ということは他人をいじめる者は病人。ただ、もしいじめられた者がいじめた側を逆に「いじめるという行為によってこいつは私にとって人間ではなくなった」とみなしたら、なんだかそれはそれで、いじめられた人間がいじめた人間に、知らないうちに病気を伝染されていた、みたいな印象をうけます。
 
また、いじめる者といじめられる者にはそれほど大きな違いがあるのでしょうか。たまたま状況が両者の立場を分けた、とも言えないでしょうか。
 
大体、いじめがもっとも激しい時期というのは小学校高学年から中学まででしょうから、その時点で誰かをいじめていようと、誰かにいじめられていようと、どちらも成長途上の子供だという点では同等なのではないでしょうか。
 
私自身はというと、まあいじめられる側でしたけど。
 
幸い、クラス全員敵、というような状況に置かれた経験はありませんが、小学校時代も単発的にいじめっぽいことはありましたし、中学の頃は相手は二人ではありますが、三年間継続的ないじめにあったことがあり、しかも学校ではなく寮でのことだったので、その頃は結構しんどかったです。(毎日の生活の上のことだし、土日関係ないし、密室状態も多いから。)

 
ここから先、非常に個人的な話になるので恐縮ですけれども、いじめと許し、という問題について考えていることがあるのて゛ちょっと書かせて下さい。

大蟻食さんの経験と比べると、もしかしたら私のケースはいじめというほどのものでもなかったかもしれないのですが(女子校ということもあり、ひどい暴力はなかったし、教師が集団維持の必要上いじめを黙認する、というようなことはまずないし、庇ってくれる上級生なんかもいたので、それが役にたったかはともかく、精神的に楽にはなりますよね。)、当時はどうなることかと思っていました。
 
私の場合は、大体サイクルが決まってまして、「通常の状態(隠す/濡らす/閉じこめる/壊す/汚す)」からささいなことがきっかけで「怒りの爆発(殴る/蹴る)を招いたあと「冷戦状態(無視)」に移ってまた最初に戻ります。一応三年間ですが、一番ひどかったのは一年の時です。
 
中高六年一環教育だったんですけど、とりあえず三年で寮は出て高校からは女子学生会館に入りましたが、中学時代に私をいじめていた子のうち、リーダー格の子との腐れ縁がなかなか切れなかったのがまた問題でした。
 
そのリーダー格の子を仮にAとし、もう一人をBとします。
 
寮生時代は同学年が私たち三人のみで、三人ともタイプが違いました。Aは一人じゃいられない人で常に集団行動を好み、基本的に他人をいじめたり誰かを仲違いさせたりして楽しむタイプ、Bはより個人主義的、性格はきつめで私のようなとろい人間に苛立つ、私も個人主義ですがとろくて微妙に親離れできてない、からかいの対象になりやすいタイプでいかにも気弱、でもプライドは高い、というわけでうまくいくわけがありません。でもAとBが私をいじめるという共通の趣味をもつことで我々三人が集団として成立していた部分は確かにあるでしょう。(私が寮を出たあと結局二人は仲違いしたのか、Aもすぐに寮を出て親戚の家に移ってしまいました。)
 
というのかそこまでして集団って成立させないとならないんでしょうかね?A は成立させたかったんだと思いますけど。
 
そんなわけで私としてはBよりはAの方を、はっきり嫌いでしたが、私に対して妙な執着をみせるのもやはりAでした。ですので寮を出たあとしばらくは私も警戒して連絡先を知られないようにしていましたが、一年もすると段々なし崩しになってきて、時々連絡が来るようになり、その意図が私をいいように使う、というところにあるのもはっきりしてきたので、
彼女が、「友達なんだから、このくらいしてくれたっていいじゃない」と言ってきたのをいい機会に「私とあなたは友達だとはいえないと思う」という台詞でいったん関係を絶ちました。高二の頃です。

ところで私は自分の意志を示すために意図的に彼女が傷つきそうな台詞を選択したので当然といえば当然ですが、確かにその時彼女は傷ついていました。なので、「いじめる側」の人間が必ずしも無神経、鈍感な泥人形だ、とは思いません。むしろ、いじめを好む人間が他人の弱点を察知するその素早さを考えると、相当繊細な神経の持ち主なんじゃないかしら、と思うぐらいです。(神経の遣い方、間違っているとは思うけど。)

で、高三の時、彼女から謝罪の手紙をもらいました。私が母を亡くした直後で、彼女も少し前にお父さんを亡くしていて、正直心を動かされましたが返事はしませんでした。
 
ただ、卒業前にちょっと会う機会があった時に、共通の話題があまりにもないので呆然としたりするようなことがあって、卒業後、偶然一度だけ街で会いました。それからもう七、八年はたつでしょうか。たいした話もしなかったのですが、なんというか・・・。

以来、私の方が何となくAのことが気になってきてしまったわけです。連絡先ぐらい聞けば良かった、とか。

つまり、謝罪の手紙をもらった時点では許す気持ちになっていなかった、というかまだ彼女のことが幾分怖かったんだと思うし、執念深いかもしれないけど七、八年前に会った時ですらそういう部分が残っていたと思います。
 
ただ、今もし彼女に偶然会ったとしたら、昔、彼女に友達じゃないと言ったのを取り消したいと思うんですよね。私は彼女にとっていい友人ではなかったし、彼女も私にとっていい友人ではなかったかもしれないけど、確かに二人は友達ではあったと。そういう心境になったということが、まあ、私が彼女を許した、ってことなのかしら?とか。
 
で、もし、彼女がそんなこと忘れてたというなら、むしろその方が喜ばしい気がします。
 
つまり、私の彼女に会って話したい、許してると伝えたい、という気持ちは、そうすれば、私は本当に彼女を忘れられるということだと思うわけです。別に今更彼女をどうこうしたいということじゃなく。
 
だから先に彼女の方が忘れていてくれるならその方がいいわけで、変に気にされてる方がいやかも。
 
で、日記に戻るんですが、大蟻食さんは、自分をいじめた人間を、卒業なりして離れてしまえばもはやなんの関係もない人間、記憶から消えていく人間、とされてましたが、「許す」という行為なしに「忘れる」ということって、本当にできるんでしょうか。本当に忘れましたか?
 
ずいぶん長い、とりとめのない文章になってしまい、申し訳ありません。

 
                                    はら

まず被害者加害者の入れ替えが可能かどうかと言う問題提起は、多くのいじめの被害者にとって全くのナンセンスです。被害者の多くは一方的に人間性を剥奪され、一方的に玩ばれると言う経験をしています。被害者加害者が入れ替わり可能だったり、状況が違えば自分も加害者だったのかもしれないと考えることが可能だったりする状況は、そもそもいじめとは言いません。極めて多くの場合、この種の主張は、いじめがそもそもなかった、ないし、あったとしても些細なものであって、それに屈したのは被害者の責任だと言いくるめるために用いられる理屈です。更に言うなら、深刻な被害を受けた被害者にとって、いじめの瞬間は神話的な様相において心に刻み込まれるものであって、入れ替わりの可能性は全くありません。

それから、子供だから、は何の釈明にもなりません。成長の途中なら他人を自殺に追い込んでも構わない、とでもおっしゃりたいのですか。幾つで犯しても罪は罪です。

更に、「泥人形」という言葉に対して何らかの誤解があると思います——正確には、魂のない泥人形、と言うべきでしょう。魂がなくても心があるように振舞うことはできますし、繊細な感受性を示しているように見えることもあるでしょうし、傷付いたふりもできるでしょう。外側から伺う限りでは、泥人形もまるで人間のように見えますが、魂がない以上、それは人間ではありません。

いじめによって、加害者は被害者の人間性を剥奪し、同時に自分自身の人間性をも失います。一度殺された魂を蘇らせ、取り返すのは大抵のことではありません。とはいえ多くの被害者は、傷や障害を引き摺りながらも魂を具えた人間として生きて行くべく努力するでしょう。しかし、誰かを非人間扱いした愉快な記憶を胸に生きて行く加害者はと言えば、奇跡の改悛でも遂げない限りは、何を失ったのかも気が付かない泥人形のままでしょう。実際、いじめられる側にも原因が、とか、弱肉強食は世の掟、とか嘯く元加害者たちが、いじめによる人間性剥奪から幾らかでも回復したとは到底思えません。そしてこういう種族はこういう種族同士で婚姻し(連中が放つ腐臭にまともな人間が耐えられるとは思いませんから)、魂を失ったことにさえ気が付かない種族を増やして行く訳です。

はらさんの体験したものとこれはまるで違うでしょう? はらさんの体験は、戯れ合い、と言ってしまっては失礼かもしれませんが、格別深刻なところのない普通のトラブルであって、私自身も幾つか経験していますが、いじめの経験に数えられるようなものだとは思いません。ただ、しょうもないことにかまける暇な奴らだと呆れただけです(まあ、正直、腐臭はかなり非道かったですな。どこかで魂を落っことして来てたんでしょう)。はらさんもお友達も人間の業に関する決定的な経験をせずに済んだ訳で、無垢の楽園に住んでおられるのは大層よろしいことではないかと思います。

ただし、無垢の楽園では自明な法則が、そこから追放された人間たちにまで適用可能だとはお考えなきよう。無原罪の天使たちが、思春期の美しい思い出をもとに相互性や許しを語り、私は立ち直って許したのだからあなたも立ち直って許せる筈だと言うのは、鬱病に陥ったりPTSDに悩まされ続けたりする多くの被害者や、いじめが原因で自殺に追い込まれた被害者の家族にとっては侮辱であり、傷口に塩を塗り込むようなものだということはご承知下さい。いじめの問題は、はらさんの楽園を追放されたか、或いは最初から入ることを許されなかった人間たちの問題です。老婆心ながら、はらさんのような方はこういう問題に二度と踏み込まないようご忠告申し上げます。あなたには想像も付かないような負の感情の世界があること、そういう場所にうかうか踏み込んだら、無邪気な言動を振りまくだけで人を苛立たせ傷付けるのだと言うことをお忘れなく。

それから私自身の問題に関してですが、精神衛生上の理由で可能な限り意識から抹殺しているだけであって、努力はしていますが許すのは非常に難しいと思います。まだフラッシュバックがありますんでね。そんな風でも人間が兎も角生きて行くということを、あなたは想像したことがないでしょう?

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2006.10.02

8. 『メッテルニヒ氏の仕事』の件

From: "原 京子"
Date: 9 avril 2006 09:05:14 HNJ
To: monk@zag.att.ne.jp
Subject: こんばんは

はじめまして。
 
原と言います。念のためメールアドレスは非公開でお願いします。
 
最近久しぶりに「戦争の法」(新潮文庫版)を読み返したのですが、解説で小林恭二氏が「彼女の次の小説はどうやら、西洋のある大外交官を主人公とするものになるようだ。」と述べてらっしゃるのを読んで、感慨深いものがありました。これが平成8年、10年前で私が今の職場に就職した年、とか。
 
もし瘡蓋を引き剥がすような質問だったら申し訳ないのですが、「メッテルニヒ氏の仕事」は近々、またはいつか、発表されるのでしょうか。(他意はないです。ただ読みたいだけ。)
 
「生活と意見」でも、いつかは必ず、と約されていたように記憶しているのですが。
 
それと、このことについて佐藤さんに文句をつけるのは妥当ですか。それとも別の誰かに文句を言った方がよろしいでしょうか。
 
ついでに、ずっと前から気になっていた質問を。
 
「バルタザールの遍歴」や「鏡の影」を書かれる際に参考にした先行作品の中に、シャミッソーの「影をなくした男」は入っていますか?私、あの話がすごく好きなのでもしそうだったら楽しいな、と思いまして。
 
全然見当違い、またはすでにどこかで触れられていたらご容赦下さい。


『メッテルニヒ氏の仕事』は来年中に全面的な書き直しをして、取り敢えずの完成まで持ち込む予定です。どういう形で出版するか、そもそも出版できるのか、はまだ未定ですが、変な邪魔が入らない限りはどこかで出せるでしょう。遅延の責任は2000年三月までの分は新潮社に、以後の分は私の怠惰に帰すべきと考えます。ちなみに小説ではなく伝記でして、文献目録と註がばりばりに付きます。出版社が嫌がった場合には(これは非常にしばしば嫌がられます)、web上で見たり引いたりできるようにしようと考えております。

それから『バルタザール』および『鏡の影』ですが、 シャミッソーとの直接の関係はないとしても、ドイツ・ロマン派的な原型は幾らか踏まえております。

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