週末にガイ・リッチーの『シャーロック・ホームズ』を見てきたのであった。
何か、もうね。
正直な話、実は夏以来、とんと劇場で観る映画が面白くないのであった。『ドゥームズデイ』で映画神経が死んだかとかと思うくらい(ただし面白ヒューズが飛んだ、という訳ではない——むしろ逆だ)、もう映画は楽しく見れないんじゃないかと思うくらい、面白くなかった。『イングロリアス・バスターズ』見て面白くないんだから、これはもう終りかとさえ危惧していたのだ。まあ、タランティーノとはとことん相性悪いんだけど。
そんなことはなくて、ただ好みの映画とか、好みが吹っ飛ぶくらい面白い映画とかがなかっただけなのである。
昔、月曜ロードショーで時々、コスチューム物の冒険映画をやっていて、私はあれで映画に嵌まったのだが、まあつまりあの乗りだ。ヴィクトリアンで快男児と美女と悪漢が出て来て、スチームパンクなメカが出て来て、最後は何故か高いところに上がってのちゃんばらがあって(記憶にある最高度記録は飛行中の飛行船の中である)話はまあどうでもいい、という豪華絢爛フルコースへの嗜好はあの辺に始まったのである。
まさか今時そんなものにお目に掛かるとは思わなかった。何かもう無類に面白かった。リッチー風味は微妙にホームズの頭の中に内向していて(『スナッチ』のブラピの頭の中もあんな加減だったに違いない)、故に、明示的にリッチー風、ではなく、ホームズ風推理は格別重視されておらず(んなもん映像でやられても面白くないよ)、陰謀はしょぼく(ちょい『フロム・ヘル』風だが、勿論あそこまで禍々しくはない)、第一ホームズにしてからが余りにも現代的な解釈なのだが(一人だけヴィクトリアンなタイも結ばずパンツまで今風でヴァイオリンもピチカートのみなのは、アメ公ダウニーJr.がああいう格好してもまるで様にならないから、ましてヴァイオリンはどうやっても駄目だったからだろう——だからあの妥協は大いに創造的だ。いやそれに部屋のきったないこと)、それを補って余りある愉快な映画だ。マーク・ストロングのどこ行くにも革コート着た無意味な悪さは素晴らしい。レイチェル・マクアダムスの不二子ちゃんぶりもいい。
おまけに最後はちゃんと高いところに上がってちゃんばらをする。素晴らしい。これで何の不満があるんだ。
で、おまけに意味もなく悪いが(何だあの改造デリンジャーは! モリアーティが改造デリンジャー! マカロニ・ウェスタンか!)未だ何も悪いことをしていないモリアーティ教授は顔も映らないので、続編があるとしても、キャストは未定なのであった。誰がいいかねえ、と考えるだけで愉快だ。ハビエル・バルデムとかどうだろう。更に言うなら、続編でも可哀想なワトソンは結婚に漕ぎ着け損ねているのだろうか。いや、ホームズから逃げたつもりだったが家に帰ると何故かいる、というパターンじゃないのか、と亭主は言うのだが、そういう無意味な憶測の余地まで含めて、何とも美味しかった。ごちそうさま。
