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22/04/2009

『スラムドッグ・ミリオネア』を見る。

この映画に独自な部分は、実はほとんどない。役者も、作品に強烈な乗りと速度を与えるA. R. Rahmanの音楽も含めて、インド映画の底力に乗っかっているだけ、と言おうか、いやあ、インド映画界凄いわ、というのがまず第一の感想だ。警官に追われた子供たちがスラムを駆け抜ける御機嫌な場面はメイレレス風だし、現地語の台詞に添えられる英語字幕が画面に組み込まれているのはトニー・スコットを思わせる。子供に芸を仕込み意図的に障害を負わせて稼がせる乞食稼業は『ジプシーのとき』でもやっていた(尤もこれは、どこでもやってるやり方なのだろう)。

でかしたダニー・ボイル、と言うしかないのは、むしろこのオリジナリティの欠落である。インドの映画は当たれば最高だが、慣れない観客には少々えぐい。そこのところを適宜希釈してメイレレス・トニスコ風味と、映像の通時的繋がりをざくざく切り刻んで、とは言えやり過ぎ感なく気持ちよくシャッフルする編集とで今風に味付けし、召し上がりやすい一品に仕上げました、という訳だが、美味いか不味いか、と言ったら圧倒的に美味い。無国籍アジアン・ダイニングというのは、翌日ちゃんとしたベトナム料理やタイ料理やインド料理を食べに行きたくなるものだが、絶対に不味いかといえば、そうとは限らないのだ。この映画も、強烈な色彩とビート(ただし、ダニー・ボイルのリズム感はいつもながら微妙である)が、結局は貧困観光映画でしょ(『シティ・オブ・ゴッド』なんかもそうだが、いつから貧困はかくもピクチュアレスクなものになってしまったのか)、をどうでもいいことにしてしまっている。主人公の2000万ルピー(一億くらいか)獲得の瞬間を見るべく電器屋のショウウィンドウの前に群がる人々のネオリベ化するご時世に取り残された風情が切ない。ネオリベ・インディアの象徴とも言うべきコールセンターも、運命の瞬間を見るべく空になる。兄ちゃんの謎の札束風呂も泣ける——そうなのか? そういう理由なのか? 特にアイデアがあった訳じゃなかったのか?

かなりいけます。もう一度見に行くかも。

p.s. 特殊先進国的感覚からすると剥き出しにいやらしいクイズ番組の司会者を見ていて、とあるパーティで会った、何故かチェコ名前(先夫の名前らしいが、やってること考えると独身時代の名前に戻しておいた方が良かったと思うよ)を名乗っているアメリカ在住のインド人学者を思い出した。あまりにも恥知らずで阿呆な俗物的振舞に著作に対する評価まで激落したのだが、そうか、お国じゃああいうのはフツーなんだな。誤解してすまんかった。

p.s. と言う訳でヴィカス・スワラップの原作『ぼくと1ルピーの神様』を読んでいる訳だが——この超ディケンズな原作からあの映画を作るとは、ダニー・ボイルはもしかすると偉大なのかもしれん。

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