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2008.10.10

宇野常寛「ゼロ年代の想像力」読み中。連載中に読んだのだが、「小さな成熟」に至って凄まじい徒労感を感じ、なかったことにしていたのだ。大幅書き足しをしたようなので何か変わったかと思って買ったのだが、いやもう、そういう問題じゃないね。

宇野氏にしても、宇野氏が目の敵にする東浩紀にしても、結局やっていることはB級グルメである。B級と言ってもどこぞの商店街の肉屋さんのコロッケがうまい、とかそういう、昭和の御代の低回趣味的なB級グルメではなく、すかいらーくとかデニーズとかの話だ。それはまあそれで面白くないこともないのだが、すかいらーくやデニーズを論じることだけが食を論じることだと言い始めるからおかしなことになってくる。東氏は歴史的な事例を完全に度外視することでそう言う奇形的な議論を成立させようと試みるし(一遍、ファミレスの調理の革命性を熱く語る東君に、じゃ汁なし担々麺ってどうなの、に類する質問をしたら、いきなり大きな声で叱られた——ぼくは歴史的なものに興味がないんです! そんなものに意味がありますか! 勿論、あなた以外の人間にはある)、宇野氏に至っては、すかいらーくよりましな飯屋だってある、というその発想自体、すかいらーくを選ぶかデニーズを選ぶかという選択の裏返しにすぎないんです、誰もファミレスからは逃れられない、と仰せになる。で、結論が、可もなく不可もなく取り敢えず喰えて当たらないって素晴らしい、この先十年をリードする調理の思想だ、か? 

金やるから一遍、ちゃんとした料理人のいる店でちゃんとしたもん喰ってこい、話はそれからだ、と言って上げたいものだが、宮崎駿を見てさえああでは、食べても無駄だろう。ちゃんとした料理人のいるちゃんとした店のちゃんとした料理自体イデオロギーの産物に過ぎない、とかなんとか言うのが落ちだ。ファミレスで舌を作られちゃうと言うのは実にもって恐ろしいことである。まあそれこそがジャスコ・ワールドの住人の証かもしれないが、哀れなことよのお。

ちなみにセカイ系——何も考えてない薄味至上主義、決断主義——無意味に劇辛、小さな成熟——ちょっといい感じかもしれないけど格別美味くはない、ってことでいいんでしょうか? どれも料理としちゃ、腹の足しにはなるけど、って程度だな。単純なグリーンサラダでも、一級の料理人の手に掛かっちゃ途轍もなく美味い、とかいうこと、想像したこともないんだろうな。

p.s. 亭主が「シューテム・アップ」を見ている脇で読了。非常に悪い食い合わせですな、ああいう映画の脇でネタを無邪気にベタに取る人の本を読むってのは。特にクドカンに捧げられた一章はケッサク。「オトナ帝国」でも鳩が見えなかったらしい。蓄積がないんだろうな。

まあそういう人なので、フィクションからストーリーだけ抽出して人生論の教材にしちまうのも仕方ない訳だが、それにしても説教臭い。フィクションって物語+文体だと思っている人だから無理からぬことなのかもしれないが、兎も角説教臭い。しかも説教の内容が、人生で必要なことは全て学校の教室で学んだ、だからどうしようもないくらい説教臭い。揚句に「ドアを開けろ、そしてまだ見ぬ誰かにその手を差し伸べろ——」ですぜ(しかもわざわざ改行して、これだけで一行。ネタかい?)。こんなもん書いてる暇があったら、絶対的な他者がどこにもいない郊外住宅地の幻想からドア開けて外に出て、ホームレスに炊き出しするボランティア活動にでも参加した方がいいんじゃないかね。二度とこんな寝言書く気にならんから。まあ、症例としちゃ大層おもろかったよ。

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