いやはや、雑踏や汗ばんだ人の臭気やお喋りの声に揉まれながら、他人の頭越しに覗くようにして絵を見るのは堪忍、と言うのは下劣で粗野で小学生並みのことなんですと。まあたぶん、暑さも人いきれも、絵の前で適当な距離をとって眺めることが出来ないことも全く苦にならないという、大層繊細なお方なんでしょうなあ。何しろ
大勢の見知らぬ人と感動を分かち合いながら観るのって素敵なことだと思うのですけど……今日なんて関西弁やら外国語やらが会場で飛び交いそれはそれは「賑やか」でしたよ。というお方だから。いやあ、どうやって何を分かち合うの? 人の話に一々聞き耳を立ててるの? そういうことを平気で言えてしまう神経というのは相当に繊細なんでしょうな——絵は静かに口を噤んで見るもの、話すとしても囁き声で短く切り上げて他の鑑賞者の邪魔にならないようにするのが礼儀とは全く考えないくらいに(まあ昨今では、こういうことに気を使う人自体が少なくなっているけど)。それを言うなら、どうしようもなく人混みを厭う人間がいることにも気が付かないくらい繊細だし、この暑い盛りに行列した挙げ句、会場で人に揉まれたら熱中症で倒れる人間もいるかもしれないのに、本当に好きなら上野に来いとせせら笑うくらいに繊細な方でもあるらしい。死者が出ることも辞さず炎天下に水なしで百本ダッシュを強要する類いの、とってもお上品な、とっても高尚な、とっても大人な態度ですこと。
正直に申し上げましょう、私がフェルメール展に行かない理由、それはこういう想像力皆無の恥ずかしい俗物と、感動どころか同じ空気さえ分かち合いたくないという理由によるものです。大体、フェルメールの小さく閉ざされた静穏は出来るだけ静かで親密な環境で味わいたい、と望むことが粗野で、行列や人垣や飛び交う話し声に苛立ちながら見るのが素敵なことだと考えるような人と、何かが分かち合えるものとは、私は全く考えません。
全く、あんな依頼断われば良かった(実際、二度くらい断った)。こうも俗物どもが群がる画家に成り果ててしまった今や、私が何を書いても、真珠を投げ付けられた*みたいに怒り狂うだけだろうからね。おそるべき騒ぎだなとか呟いて脇を通り過ぎるのが正しかったんだろう。それにしてもフェルメール・ワインって凄すぎるな。次はレンブラント饅頭か?
