こういう種類の事件が起こるたびに感心する——みなさん何でこんなに親切なのか。どうしてわざわざ「心の闇」まで斟酌してあげるのか。それで何かが帳消しになるとでも言うのか。
起ったことは起ったことであり、社会はそれ以上のことを考えてやる必要はない。というか、社会がわざわざ一個人がぶち切れた挙げ句やったことに関心を持つ正当な理由はなかろう(正当ではない理由はもちろんあって、それは犯罪実話愛好癖だ)。法廷はただ起ったことのみに基いて量刑を判断すればいいので、それ以上のことを追求しているのを見ると、私は猛烈に苛々する——あんたらの知ったことか? 一度でいいから、プライバシーを盾に理由については一切口にしない被告というのを見てみたいものだ。人間の尊厳という奴をこれほど体現する存在はまたといまい。逆に言うなら、詰まらない動機を並べ立てる被告は話にもならない卑屈な屑であり、更に言うなら「心の闇」で何かが説明できると思い込んでいる野次馬は、ひたすらに人間の尊厳を貶めているのだということになる。いや実際、犯罪実話を読むたびに私が痛感するのは、人間とはどれだけ無意味で退屈な生き物か、だ——時々犯罪実話を小説に仕立ててる人がいるけどさ、書いててよく退屈しないよね。