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11/07/2007

バイオリンのお稽古もせんと、伊藤計劃氏の『虐殺器官』を読んでしまう。実は私、ここ二年ばかり(もっとか?)、彼のブログの愛読者であった。更新が途絶えるとかなり、まじで、心配した。コミケまで彼のメタルギア本を買いに行こうと思ったことさえあり、映画の批評も結構好きで、一頃は知り合いに端から凄いすごいと言って歩いたくらいである。この人の小説なら是非読みたいと思っていたから、小松賞に落ちた時にはちょっとがっかりしたし、早川で出ると聞いた時には心待ちにした。すかさず買ってから『バーチウッド』の担当者に、言えば持って来ましたよと言われ、あ、そうか、と思ったが、別に後悔はしていない。買うだけの値打ちは充分にあるからだ。

既にweb上には相当数感想や批評が出ているから、ごしゃごしゃ書くことはしないが、一読して感じ入ったのはその繊細さだ。もちろん題材は、タイトルと表紙に偽りなく、凄まじい訳だが、にも拘らず、ちょっとないくらい繊細なのだ。凡百の繊細ぶった、その実どうしようもなく粗野な代物とは対極にある、題材に対する繊細さ。その背景の現実に対する繊細さ。『腹ぺこマーヴィン』(サウスパークの)に近い繊細さ(普通あれをやるとどうしようもなく粗野になってしまうんだが、ストーン/パーカー組はここでもまた偉大であった)。『宇宙戦争』の評からすればこういう褒め方は氏の最も忌み嫌うところだと思うが、『虐殺器官』は単なる近未来SFではなく、NV的軍事行動小説で終るものでもなく、今ここにおける切実な事柄を拾い上げ、見詰め、語った小説——まさに今、私やあなたのいる世界で起っていることを語った小説だ。虐殺の文法は、あれほど即効性のある形ではないとしても、現に存在していて、ナチどころか国民公会の時代(ギロチンと溺死刑の「論理」の研究も、実際にあるらしい)から、着実に人を「我々」と「彼ら」に分けて虐殺に駆り立てて来た訳だが、そういう目を背けて通りたい事実を見据え、上等な虚構の形で読み手に突き付けて来るなぞ、襟を正す他ない繊細さだ。語りの繊細さは言うまでもない。少々繊細すぎると思えるくらいである。結末には思わず唸ってしまった(世界が素に還っちゃった、とでも言いますか)。きちんと書評を書く場所がないのが少々残念だ。

ついでに趣味的なことを書いておくなら、オセロットにはつい受けてしまいましたです、はい。

p.s. ついでに一つ意地悪を申し上げておくなら、山田正紀みたいな、四半世紀前に『神狩り』を読んだ時既に終ってると感じられた作家や、二百万死のうと三百万死のうと人類の進歩と調和の前では無、な小松左京的粗野と比較するのは決定的に違うと思うよ。ああいう下っ端党員的単純も党幹部的傲慢も、ベルリンの壁が崩壊する遙か以前に無効になっていた——とか言うと少々軽薄過ぎる気がする訳だが(気に障るものになっていた、と言った方がいいかもしれないが、ついでに付け加えるなら、どちらの作品にも、無効になってなお生き延びることを可能にする造形性は皆無だった)、伊藤氏はその繊細さにおいてもっと今日的なのではないかと。

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