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14/06/2007

新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。ほとんど終るところだ。ぶっちゃけた話、もっと別な書きようのある本だ。七十年代前半の郊外団地とその政治傾向、日教組系の怪しい教育方針とその影響、その怪しい方針に翻弄されながらも鉄道への愛に目覚め四谷大塚に通う小学生の回想、どれを取っても優に一冊分の量を必要とする内容だ。だが、短すぎる、盛り込みすぎる、が最大の欠陥と言うのは、むしろ天晴れなことだと言わざるを得ない。当時の同級生たちや当のカリスマ教師にも直接取材、というなら、その辺、もっと生な素材を見せていただきたかった気もするが。

私は今、猛烈に怒っている。ちっくしょう、そういう仕掛けだったのかよ、であり、人の貴重な時間を詰らんことのためにくすねやがって、であり(学校なんか行かずに家でピアノ弾いて英語習って、残りの時間読みたい本を読みたいだけ読んで過ごしていたら、私はもう少しましな教養を身に付けていた筈だ)、二度と世の中に出て来んなよ、アカ、なのである。当時の私は、少々頭のおかしい理想主義のカリスマ教師(前の学校にいた時、心臓の悪い子供に一キロ走を完走させたことが自慢であった——今なら全国ニュースで犯罪者扱いだ)が学校と学級を引っかき回しているのだとしか思わなかった。ところがこの奇っ怪な逸脱、実は、ソ連の集団主義教育理論に基いた運動を展開する全国生活指導研究協議会なる悪の秘密結社の仕業だったらしい。

その理論とはいかなる理論か。学級を「党」に、児童を「党員」に鍛え上げて学内革命の前衛たらしめんとする、という、実にどうしようもない理論である。そんな馬鹿なことをやらせるために子供を学校にやる親がどこにいる? この本に出て来る、今にして思えばよくもまあそんなことが通ったもんだ、の数々を、著者と同年齢の私はやはり五年生六年生で経験している。でかい紙に班別の棒グラフを付けて、あれやこれやがどれだけ達成されたかを一目瞭然の状態で張り出して競わせる、とか(故に班は理不尽な自主締め付けの装置であった——子供にそんなことさせたら何が起るか、簡単に想像が付くだろう。私は両手の指十本を全部突き指したことがある。ドッジボールの対抗戦で負けないよう、どんなボールもキャッチできるようになるまでしごかれたからだ。駄目だったけど。これもまた、今なら悪くするとニュースものだろう)、班編成を子供に任せてわざわざはみこを作るとか(うちのクラスでは児童の希望を取ったと称して、実際には先生が班を編成していた。覚醒を促してたって? 畜生め、毎度はみこにされる奴がどんな気持ちでいたか想像したのか? 覚醒もへったくれもない、クラスの全員に対して深い軽蔑の念を抱いただけだ)、カルトみたいなキャンプファイアーとか、もっとカルトじみた卒業式とか(「わかれのことば」の部分再録を読んで思わず笑った——まんまだよ、これ)、そういえばうちのクラスは無闇と何とか委員長だのかんとか委員長だのがいたものだが、あれも陰謀のひとつか。よくもまあ、ひとを虚仮にしてくれたものだ。

私は怒ってる——それはもう、深々と怒っている。著者の学校は取りあえず文明的な地域にあったからあの程度で済んだ。私の行っていた学校はそんなものとは比べ物にならないくらい野蛮な、子供が手足を挫くとか骨を折るとか流血するとかは日常茶飯事、男子どころか女子を羽交い締めにして下着を脱がせて遊んでも無問題、という場所で、しかも著者にとっての四谷大塚のような逃げ場所は、何しろ山の中だ、何一つなかった。故に党員ごっこのとばっちりは余計非道かった。おまけに著者がいたような団地とは違って、信じられないような格差がほとんど階級として存在する土地でもあった——教師には他に一つ、対処すべき問題があったことになり、土地柄も弁えないプチブル家庭出の私はその目の敵にされた——教師が先頭に立って、持物を批判され、着るものを批判され、生活習慣を批判され、親が《教師でもないのに》本棚一本以上の書籍を持っていることを批判され、自己批判を迫られた(ちなみに、生産手段を私有する工場主その他の子弟は却って優遇されていた——父兄を怒らせると面倒だからであろう)。下放されなかったのがもっけの幸いだが、できるならそれもやっただろう。自己批判を迫って曝してはやすという文革まがいは言わずもがなだ(教師がこれを放置するのはどういうことだと疑問に思っていたんだが、これもシナリオに入っていた訳だ)。覚醒を促す? 馬鹿を言ってもらっては困る。五年六年を突撃隊に小突き回されるユダヤ人のごとき状態で過ごし(しかも教師公認だ)、卒業後は小学校で教わったことを自主的に継続する紅衛兵崩れどもに、十年もしてから出るPTSDを貰うような目に遭わされたのだ。それが教育か? そもそもお前らはそれでも人間か?

幸いなことに——本当に幸いなことに、私の親父は戦史好きであって、シリーズ名は忘れたが赤背のナチ本とか他の第二次世界大戦ものをずらりと本棚に並べていて、それを私も端から読んでいたから、何が起っているのかは理解していた。朝日の『いま、学校で』(本書にこの手の行き過ぎを批判した回の一部が転載されている)は愛読コラムだった。週刊誌も、今で言うオピニオン雑誌も、近所の本物の共産党員に頼み込まれて取っていた『赤旗』まで読んでいた(この『赤旗』は役に立った——学校で行なわれていることがアカいということを漠然と悟らせてくれただけではなく、たとえば共産主義者がエイリアンの存在を断固として認めないとか、『カモメのジョナサン』は反革命文書であったりとか教えてくれたのだから——狭量で頭の悪い奴らだぜ)。だからそれが《全体主義》の一類型であることは承知しており、故に間違っているのは彼らであって私ではないと知っていた(私に言わせれば、ウヨもナチもアカの仲間だ)。知識が助けになることだってたまにはあるのだ。ただ当時は「アカめ」と罵倒することを知らなかっただけだ。したって状況を悪化させるだけだっただろうけど。

あちこちのブログの感想を見て回って、今時の親が矢鱈学校に対して個別利益を主張するのはこの時の反動だろうと書いていた人を見付けたが、たぶん、それは正しいと思う。今でも「みんなのため」という言葉を聞くと鳥肌が立つ。個別利益の積み重ねの上にしか民主主義は成り立たないし、成り立たせてはならないと信じている。それも全て、このプチ全体主義経験の賜物だ。当時平然とプチ党員だった連中は、また別の立場を取っているのだろうが、そういう連中の、ついぞ我が身とその利益を省みたことがないと称する(無知のベール、って奴だね)言動を見聞きすると、その党員根性ぶりに吐き気を感じる。実に、実に、結構な教育をしてくださったものだ。出来ればそんな経験、なしで済ませたかったけどな。

兎も角、教師諸君は大いに反省して欲しいものだ。教師は読み書き算盤を教えて、あとは学内の治安だけ守っていればいいのである。その方があんたたちも楽でいいだろ?(滝山みたいな、或いは私が出た小学校みたいなことをやっていれば、当然、仕事の量は大変なものになる——生活が全くない人間にしかできないくらいの量に。そんな奴の判断力が信用できるか?)人間の心の中まで手出ししないように。私が知っている数少ない尊敬できる教師は皆そういう真似をしない(まして餓鬼どもの頂点に君臨して首領様ごっこなんかしない)タイプであり、理性と、高度な専門知識と、他人の心の中、即ち内面の生活と思想信条には踏み込まない節度によって尊敬すべき教師であり続けた。まあ、こういうのは大抵、音楽の先生だったりする訳だが、高校時代には学内唯一の非ー日教組員である剣道の老先生もいた。あの、孤立を怖れず背筋を伸ばした姿勢は今でも忘れられない。ただ、ああいう風になるには並外れた精神力が必要なのよ、並みの教師に要求できることじゃないね。

と言う訳で、幸いにして私に子供はいないが、いたとしても学校にはやらないと思う。教師のアカごっこ(最近は代りにウヨごっこなんだろうな)に付き合わせて時間を無駄にさせるのはあまりにも可哀想だからだ。もう少し常識があるので学校には行かせないと、な父兄の皆様には、学校で行われていることに注意を払い続けることをお勧めする。特殊な時代の特殊な状況とお考えかもしれないが、ああいうのが好きな手合いはいつでも、それも沢山、いるからね。

p.s. 亭主に話したら大受けしたから付け加えると、この小学校、運動会の入場行進の時には壇上の校長の前に来たら号令一下イタリア式敬礼をすることになっていた。つまり、何と言おうか、あの「ハイル」である。あんたらアカの癖に、子供に何てことをやらせるんだ? でもってこの敬礼のためだけに、ニュルンベルク大会もかくやというくらいの予行練習を、授業を潰してやるのであった。アカはマスゲームが好きだからね。更に、こだわりをお持ちの方のために申し上げるなら、日の丸君が代は普通にやっていた——たぶん社会主義ニッポンが生まれても日の丸はそのまんま、「君が代」も、「君」とは主席ないし書記長のことだと教えて済ませる予定だったのであろう(いや、どんなアカい世の中が来ても天皇はそのまんまかもしれないし)。故にこの二つはいかなる政治的リトマス紙にもならないと、私は考えている。

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Notifié: 21/06/2007 08:25

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滝山コミューン一九七四 作者: 原武史 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2007/05/19 メディア: 単行本 私は今、猛烈に怒っている。ちっくしょう、そういう仕掛けだったのかよ 日記: 2007.6.13 その佐藤亜紀が読んで今にも噴きこぼれんばかりに激しく興奮していた(←いつも... [Lire la suite]

Notifié: 28/06/2007 20:54

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