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2006.09.03

いや、さすがに鎮火した感のある猫殺し問題であるが、ひとつ引っ掛かることがあるので書いておこうと思う。

最初にポジションを明らかにしておくなら、前にもブログに書いた通り、私は愛猫家である。近所の猫には端から挨拶し(ちなみに犬にも同様にする)、路地で親子猫を餌付けする猫おばさんをリスペクトし、盛りの付いた猫の行動は微笑みながら見守り(もちろんあの嬌声もだ——単なる感情移入と己を諌めつつも、いや、あれは色っぽいね)、猫保護団体が地域猫の避妊費用を乞うたりすると涙ながらに千円あげる——涙ながらの理由は、避妊させられる猫が可哀想だからであり、だからと言ってごろごろ増えると地域猫の生活環境が悪化するからである(世の中ほんと心の狭い奴が多いからね)。猫を殺す奴は無条件に悪い奴であり、猫殺しを得々として明かした奴が正体を暴れて曝されたりすると、そーか社会的に抹殺されたかざまーみろと考える(つーか、面白半分で猫殺しする奴とは仕事したくないし、結婚もしたくないし、親戚にもご近所にもなりたくないでしょうが、普通。となりゃ自然発生的に村八分だわな)。つまり、普通の動物好きの範囲をやや超えて、動物好きである。それでいながらゴマフぶち殺したいとか仔猫食べちゃいたいとかがあるのは、我ながらかなり異常だ。動物のフィルム見ているとあまりの可愛さに、うぉおおおぶち殺したい、とか言って転げ回ることがある——ロリコンの小学校教師あたりが抱えている矛盾ってのはこういうんじゃないかね? ほんとに可愛い猫飼ってる人がいたら、佐藤亜紀の前からは隠そうね。三分前は人間だった状態にならんとも限らんから。それからロリコン教師は見付け次第学校から追放ってことでよろしく。

兎も角、そういう立場から言うと、坂東氏を批判する人々が格別異常だとは思わないし、ファナティックだとも全体主義的だとも思わない。最初期の告発者の一人が猛烈に論われているようだが、彼女のブログを読むと、相当ファナティックだけどそれも仕方ないかと思う。ほんとに猫好きなのだ。それも実践する猫好きだ。ほとんど猫観音。そういう人間の前で、猫にセックスと出産を存分に体験させてあげるために仔猫は崖から捨ててます、セックスと出産はなにより尊いですから、と公言したらどういうことになるか——それも、私は文明の偽善を告発していますと言わんばかりの様子で公言したらどうなるかは自ずと明らかだ。酒の席なら言った途端に頭からビールをぶっ掛けられている。瓶でぶん殴られなければもっけの幸いだ。で、ここからが大事なところだが。

それでビール瓶で頭殴られて全治三週間なんてことに絶対にならない、と考えているとしたら、その方がよほど文明の偽善なのである。

言論の自由については随分と腑抜けた認識が横行している。何を言ってもウェブの画面一枚、活字を刷った新聞紙一枚が挟まっていたら、誰も自分に指一本触れられないと思い込んでいる奴が多すぎるのである。ある種の事柄に不器用に触れたら火だるまは必至だ。襲撃されることも、家に火を付けられることもある。法的には名誉棄損であり、傷害であり殺人であり、放火である訳だが、それでも構わんからやる、という奴は必ずおり、ある筈のないこと、あってはならないことだとどれほど言い募っても、この世からそうした人間の存在を消すことは出来ない。本当に危険な言論を弄するなら、女房子供は家に帰し、防刃チョッキやペッパーガスやスタンガンは必携、セコムと契約、くらいの覚悟は必要だろう(警察は全く当てにならない。時々NTTに電話を調べてもらうこと)。もちろんそういうことはないに越したことはないが、言論も暴力であり、反論する場がないと思い詰めた人間を暴力を以て反撃するしかないところまで追い詰める可能性は常に考えておくべきだ。言論による非難はもちろんである。インターネットで袋だたきなんてのは、迂闊な言論の報いとしては甘すぎるくらいだ。それで坂東真砂子(略字失礼)が発表の場を奪われたという言うことになったら、猫問題は棚上げして支援しなければならないが、もっともそういう陰湿な弾圧ってのは、この業界じゃ、そういう問題じゃないんですご心配なくでへへへへ、と行なわれるので、第三者はなかなか気が付かない。

それよりも猫の命と人間の命の間に線引きしたがった揚句、猫なんか幾ら殺してもOKだって人間じゃないから昔は幾らでも殺した猫殺すなとか言う猫好きはビョーキ、とか口とんがらせて嘯く奴——あんたね、そんなの一緒なんだよ。なるほど仔猫はこの間まで間引かれまくっていたかもしれないが、それを言うなら人間の子だって間引かれまくっていた。猫の命も軽いが、人間の命だって劣らず軽い。時々、こいつか猫かと言ったら猫を取るね、と考えたくなる奴もいる。その上で、私は訊きたい——猫の命だって人間に劣らず大切だと何故言えないのか(それを言うなら食肉牛の命だってゴキブリの命だって同様に大切である。食うし、叩き殺すけど、罪なしとは言えない。猫の間引きも同様だ)。なるほど、偶々この件では極めて多くの人が不快感と非難を表明したが、だからファシズムだとか全体主義だとか言うのは明らかな用法の間違いだ。クラシック好きを即ナチ呼ばわりするのと同じくらいなんも考えてない感が漂う(ちなみに作家が書きたくないとか書けないとか書けないところから書くのがほんとうだとか言うのも、なんも考えずに自動的に取れる、使い古された文学的ポーズだ)。あらゆる言論を相対化するのは重要だが、大勢が猫大事って言ってるから猫なんかなんぼ殺してもいいんだよファシストって言ってやろう、というのは、少々子供じみてやしないか。小学校の教室でディベートの授業やってるんじゃないんだから、そこんとこ宜しく。

付記:たぶんこれほど多くの人間が憤激した背後には、ファシズムや全体主義より、ここ四半世紀における猫権の確立ぶりを考えた方がよろしいかと思う。昔の作家が猫を焼き殺したとか鍋にして食ったとか平気で書いていた頃は、だって猫だもの、で通ったが、最近じゃ、猫殺しは無条件に非道なだけではなく、殺人への一里塚とさえ見做され、それだけで異常者呼ばわりされかねない事柄になったのである。アフリカの飢えた子供よりお猫様な御時世に変な一石を投じちゃった坂東氏の最大の間違いは時世の読み違えかもしれない。

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Notifié le le 2006.09.23 à 23:50

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