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29/05/2006

『**な**を創る会』とか聞いただけでゲロが出そうになっちゃうのはこっちの事情ではあるが。

こういうのを前にすると、ゲロが出そうになる私は正しい、という気がしてくる。悪い景観、って、これが日本じゃん(一年くらい海外にいると懐かしくなるのは、コンビニの添加物まみれの握り飯と、ここに上げられてるような「悪い景観」だ。ああ、懐かしきコンビニの燈よ)。ちっとは自分自身を受け入れられないもんかね。不細工な町並みは不細工であるだけの理由があるんで、看板だけ外せばどうにかなるというものではない。たぶんもっとしょぼく不景気になるだけだ。美しい景観とか言うと、着物美人がよたよた歩いていそうな紅葉の嵐山とか出てくるんだろうな。んなもん毛唐向けの観光パンフか何か用に取っとけばよろしい。

我々はここで生きている、文句あるか、という姿勢だけが、町を美しくするのである。サラ金の看板はそのままだとしても。たぶんおフランスな馬鹿はパリの町並みがどうこう言い出すだろうけど、ゾラの『獲物の分け前』を読めば判る通り、あれは地上げ屋が地上げに血道を上げて古い美しいパリを破壊した揚げ句に出来上がったバブリーな代物であり、当時は大層醜かったのである(少なくとも、ボードレールあたりには)。正直なところ、今日でも私には時々、あれがどうしようもなく醜く感じられることがある(たとえばさ——パリの旧オペラ座って、相変らず猛烈に醜くないかい? まるで入れ墨を背負った象だ。もっとも十九世紀の劇場建築って、剥き出しの機能に無理矢理装飾を被せました、という代物であり、美しくなりようはないのだが)。それが「美しく」なってしまったのは、ボードレールあたりも含めて(みんな、今日のルーヴルの中庭辺りの不法建築スラムが大好きだったんだよ、取り壊されちゃったけどさ)、小汚え町だまるでごみ溜めだ何とかならねえのかとぶーたれながらそこで生活した人間の嫌悪と愛の積み重ねの故だ。「悪い」と称されてここに挙げられている景観のほとんどは、そうした意味では、無尽蔵の美の可能性を秘めている。たとえばこのアパートの窓だけど——これ、いいよ、ほんと。見てるだけで涙が出てくるくらい。それからこの自販機だけど——ほとんどディケンズ的なものを感じないか。そしたら悪いもへったくれもなくなっちゃう訳だよ。

ただまあ、個人的に非常に醜悪だと感じる景観として、表参道のラルフ・ローレン(何だあの必然性もなければプロポーションも無視した阿呆な列柱は)を挙げておきたい。ヒルズがどうなのかはあまり検討したことがない、というか、ラルフ・ローレンの醜怪さに呆然としてヒルズまでは手が回っていないのだ。確かに昔の同潤会アパートはよかったんだけどね。

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