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小谷野敦氏との対話の顛末

さて、こちらをご覧になった方で殊に好奇心の強い方は、小谷野敦氏の、提訴予告と称する、その実何の効力もない紙切れの写しがその後何を引き起こしたか、わくわくしながら待っておいでだろう。

実は2月28日深更、小谷野氏とtwitterを介して話す機会があったが、そこで驚くべき事態に遭遇した。小谷野氏は自分の送った内容証明には既に関心がない、という事態である。

事情をご存知ない方の為にざっと説明すると、私が、彼の「現代文学論争」について、知人約一名から、百箇所以上の間違いがある、との指摘を聞き、また別の方からは、web ちくまに場所を設けて、そうした杜撰な仕事の餌食にされた作家たちに小谷野氏を批判させ、以て本の無料広告としよう、という意図の産物だと聞かされたことを紹介したところ(担当編集者にして web ちくま編集長の山野氏の弁によれば、炎上戦略は取っていないとのことであった——信じるか信じないかは読者諸氏次第)、小谷野氏は突如怒り出し、twitterで、私に対しては法的な措置も厭わない、と宣言、しばらくしてから内容証明を送り付けて来たのである。

この内容証明の送付においては、これまた一波乱、あった。twitter上で、小谷野氏が、佐藤の住所がわからない、と呟いたところ、とある小谷野ファンの方が、誰か佐藤亜紀の住所を知ってる人、DM で知らせて下さい、と書き込んだのである。私は勿論この人に頼んで書き込みを削除して貰ったが、ふと気になって小谷野氏のアドレスを覗いたところ、小谷野氏がこの人物を丁寧にねぎらっているtweetが見付かった。この人が事情を全く知らないままに小谷野氏のtweetに反応した善意の人物なのか、それとも依頼を受けて行動したのかは不明である。ただし、その後、この人物が小谷野氏に答えて、読んだこともない私の作品を嘲笑しているtweetを見掛けた。

さて、小谷野氏は結局私の住所は不明のまま、明治大学宛に内容証明を送ってきた。明治大学は私にそれを転送してきた。まさか本当に来るとは思わなかったので驚いたが、内容はそれに輪を掛けて驚くべきものだった。

「現代文学論争」に関する私のtweetに傷付けられ、痛くて痛くてとても我慢が出来ないので削除してほしい、と言うのだが——

どのtweetなのか全く特定していないのだ。

しかし私は親切な人間だ。痛みや苦しみを抱えた人を放っておくことができようか。そこで自分のtweetを去年十二月の分まで遡って見たのだが、小谷野氏に対する誹謗と言えるようなものは、一切、見当たらなかった。

じゃ、さっきの間違い百箇所、とか、小谷野叩き HP とかはどうなんだよ、とおっしゃるかもしれない。が、私は伝聞情報を飽くまで伝聞情報として伝えたに過ぎない。これとこれは間違いだから誤報だと言って訂正してくれ、なら、即座に検討に入れただろうが(現に、小谷野アレーナ説は担当者が否定した、と書いただろ?)、間違い百箇所説に関しちゃね、そうもあろう、としか言いようはない。何故か。

何しろ自分に関して書かれた見開き二頁弱、約十六行、のうち、三分の一は引用なので除くとすると、残りのうち半分は間違いや怪しげな仄めかしや間違いによる怪しげな仄めかしなんだもの。

これでは幾ら私が親切で善良でも、削除には応じかねる。この二頁の有様を十頁に、二十頁に、三十頁に拡大したら、百箇所などはすぐだ。そこで、小谷野氏の内容証明とともに、当該記事の、およそ事実とは言いかねる箇所の指摘をblogに上げたのである。小谷野氏はその一番上に貼られた内容証明に反応し、「satoakiは内容証明といえど私信であるという認識がないと見るね。」と発言した。

そこから始まったのが、昨日の twitter上の遣り取りである(私のアカウントは@jenaiassez)。当然、話題はまず内容証明にあった削除の要請であり、そこから派生して、小谷野氏の著書の中にある私に関するblogの記述から引用(私の著作「鏡の影」の宣伝文)を除くと、そのうち概ね半分が、どうかすると名誉棄損に該当しかねないものだ、と指摘したことだろうと、私は思っていた。小谷野氏は内容証明の紹介に怒りを表していたから、当然、読んでいる。

ところが。小谷野氏のtweetはいきなり、小谷野氏がひどく拘っている「鏡の影」の解説を担当してくれた人が、平野啓一郎はこの作品を盗作した、と書かなかったのは何故だ、だった。

理由は簡単で、私は事の起りである HP においてさえ、盗作という語を使っておらず、その後も使ったことはないからだ。何故盗作と言わないか、も、既にblogに書いている。 加えて言うなら、災難から絶版になった作品を何とか復刊に漕ぎ着けたのに、わざわざ告発本まがいのフレームにはめ込みたがる作家がいる訳がない(作家でなければ理解できないかもしれないが)。編集者にも、あまり煽るのは避けたい、先入観なく作品を読んで欲しいのだ、と何度も言ったし(とは言え小谷野氏が非道く拘る宣伝文くらいまでしか割引くことはできなかった)、解説を書いて下さった方には災難の当初に相談に行ったことがあり、電話でも話をして、そういう意図は伝えている。

さて小谷野氏だが、次に非道く拘ったのは、私の住所を何故教えないのか、だった。答は簡単で、被った災難を HP で公にして以来、匿名掲示板では折々、暴力による制裁を挑発するような書き込みがあったからだ。これは2000年から早稲田大学で講師をしていた2004年頃まで続いた。実際には何事もなく、私も犯行予告や使嗾には慣れっこになったが、住所を名刺にさえ刷らなくなったのは、半ばはその為である。小谷野氏は以前、匿名で活動している女性の本名を暴いてさらそうとしたことがあり、そういう相手にはまして、教えられるものではない。

更に小谷野氏が非道く拘ったのは、新潮社版の「鏡の影」がどの程度売れたのか、だ。小谷野氏は何故か、「鏡の影」の売れ行きが不振だった、が真なら、新潮社が疑わしい行動を取った、は偽だと思い込んでいるようだった。だが、売れない作家はどんな目に遭わされても仕方がない、とは、それこそ匿名掲示板で私を中傷する際に定番のように用いられてきた煽り文句だ。少し考えれば、売れないから切るのと、私が疑っているような事態は別段両立しないものではないことはおわかりだろう——売れないからいらない作家なので、怪しげな真似をするのも平気、どうせ泣き寝入りだ、ということも、世の中には当然ある。

だが小谷野氏は、売れなかったんだろうそうだろう何故認めない、とそればかり繰り返した。そんなに知りたければ、いやしくも比較文学の研究者だったこともある方だ、そういう資料がどこに行けばあるのか、どうすればアクセスできるのか、は知っている筈なので自分で探せばいい。 それさえせず、白状しろと言わんばかりに迫ったかと思うと、突然、絶版を申し渡したのは誰だと訊ね、著名なロシア文学者の名前を上げて、その人物か、と訊ねる始末。は? 「ペテルブルク」は持ってるけど、お会いしたことはないねえ。私の当時の担当で、「女はヅカか少女漫画を書いていればいい」「エロを書けば出してやる」と言い放ったのは、佐藤という人だよ。

ああ、推理ドラマの刑事さんだ、とそこで気が付いた。どうやら、尋問すれば自白が取れると思っていたらしい。そしてその自白は、彼が勝手に推理した構図にぴったりと合っていなければならないのであった。

それが何より証拠には、私は彼の質問には全て答えたにも関らず、未だに、私が質問に答えていない、と嘘を吐いている。彼がある筈だと想像したピースの全てを提供してやっても、集めて合わせると彼好みの——或いは彼に唯一理解できるディケンズ風のわかりやすい構図にならないからであろう。

まあつまり最初から「現代文学論争」の、私に関する二頁の出鱈目については何の申し開きもない、ということだ。問題点の指摘を行った blog を見たらしいことはここからも推察される。見なかった、という言い訳は成り立たない。答えない、が回答、つまり申し開きなし、ということになる。

1. 「筒井康隆氏の恩顧をうけたらしく」
具体的に何を指しているのか、については、前後でまだ遣り取りがあるにもかかわらず無回答。こう質問し直しても無回答。つまりは、悲しいかな、そういう意図だった、ということだ。

2. 事件の時系列を歪めたのは何故か、という質問に対しても無回答。更に聞き返しても無回答。 これは、当該記事の信憑性を守る為には反論しなければならない質問だが、小谷野氏は答えないことを選んだ。尤も、どう言い繕っても事件の時系列に関して間違っていることは否定できない。

3.については、小谷野氏は既に文中の記述を覆して、構造的に似ていることは認めている

4.私は「盗作」と言ったこと一度もない。これについては、今回の対話中、小谷野氏の方から「盗作」と言う言葉を「ぱくり」と言い直していただくことができた。両者が決定的に違うことは、ここで説明済みであり、小谷野氏からの反論はなかった。

5. 「平野氏の反論はない」ご自身でもこれが事実に反することは、小谷野氏自身が認めている

6.「被害妄想三人組」これは申し開きなど必要とはしない。いかなるソースから「三人組」と書いたかが明示されていないからだ。全くの空想。また「被害妄想」という語は、当然、こういう文脈では使うべきではない。よく法務が通したものだ。

以上なんだが——まあ、申し開きを期待した私が悪かったよ。これ、申し開きの余地なんざ一切ないもの。沈黙を守るのが確かに一番利口だし、幸せだ。

で、さて、小谷野先生には頭の中ででっち上げたディケンズ風の世界の悪を暴くことに専念して貰うとして、私はこの対話のあった3/1の午前中、筑摩書房の「現代文学論争」の編集者、山野浩一氏に電話を掛けた。何点か、確認しておきたい点があったからである。

まず、小谷野氏がテキストの間違いの訂正を話し合える状態にないことを説明し、その上で二点、確認を取った。

当該の書籍全体、当然、私に関する部分は、筑摩書房の校閲を経、法務担当者の認可のもとに出版されている、ということ。

ということは、上記のような、スキャンダラスな関係を仄めかした誹謗中傷、単純な事実誤認、精神疾患患者に対する差別的な言辞、等は、全て、筑摩書房が出版社として出版しても構わないと判断したものだ、ということになる。

喜びたまえ、ライター諸君! 筑摩は今や君らの楽園のようだ。君らがどんなに汚らしいスキャンダルをでっち上げたとしても、事実関係をどんなにねじ曲げても、どれほど差別的な用語を使ったとしても、筑摩書房の編集部はその原稿を通してくれるばかりか、被害者が抗議しても代ってこう抗弁してくれるに違いない——社の校閲を通り法務の認可を受けたものですから、と。

そして一緒に失望しよう、自分が読んできた全てが——たとえば筑摩世界文学体系が、文庫で出版された尾崎翠や森鴎外が、その他の諸々の素晴らしい出版物群が——実のところ、この程度の校閲で出版されていたなら。最早ここの出版物に信を置いて読めるものはなく、「社の校閲」は、ちょっとぐぐればわかる程度の事実関係の間違いさえチェックせずに通しているように見えないか。正確さは wikipedia の荒らしが横行する項目と同程度ではなかろうか(小谷野氏はAkoyanoの名で常習的にwikipedia に、本人言うところの「自分の意見」を書き込んでいる)。例えばコンラッドの生没年がここの出版物に書いてあったとしても、他の、もっと信頼の置ける出版社の資料で確認しなければならないのか。間違いがあったとしても訂正されている可能性はさして高くなく、気が付いた読者が指摘したとしても、「社の校閲を通ったものですから」と説明されるだけなのか訳者が、読者には理解不能なある思い込みから、原文とは似ても似つかない内容に改変していたとしても、校閲はチェックせずにそれを通しているのか。日本語で書かれたものについても言わずもがな、それがどれほど悪意に満ちた捏造であったとしても、ここは通してしまっているのではなかろうか。

勿論、そんな筈はないし、そんなことはあってはならないことだ。私は「現代文学論争」のような杜撰な代物は、全く例外的な、一部の人間の山っ気と先走りでそのまま出版されてしまった嘆かわしい鬼子であり、筑摩書房には全く相応しくないものだと考えたい。しかし、他ならぬ自分についてこれだけの誤情報を垂れ流されたら、残念ながら、筑摩のスタンダードは回復不能なまでに緩んでいる、と考えざるを得ない。

幸い、編集者山野氏は、現在流通しているのは「現代文学論争」の二刷であり、三刷は今のところ予定にはないが、ある場合には誹謗中傷事実誤認等の指摘は考慮する、と言ってくれた。文庫化等の場合も同様だろう。また、web ちくまに訂正表を掲載することも検討してくれるとのことである。彼の言葉を完全に信頼する訳ではないが、次の項に訂正すべき部分を挙げた抗議文を掲載する。

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