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@berohashi氏の質問に答えて

本稿は@berohashi氏の twitter における質問  «ちなみに『日蝕』はどこがパクリなんでしょうか。「何となくパクリだと思った」ってことでしょうか » に答えてのものである。

以下の表は「鏡の影」第十章から第十五章までのプロットを、「日蝕」全体のプロットと比較したものである。あくまでプロットの流れがほぼ一致していることを示すためのもので、個々の要素を対照した訳ではないので、ご注意いただきたい。重複するモチーフ、記述については註として指摘した。

ページ番号は『鏡の影』講談社文庫版2009、『日蝕』新潮社1998による。

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一言お断りしておくなら、プロットの借用自体は格別問題はない。プロットは語られることではじめて作品になるので、別様に語られれば同一のプロットも別の作品となる。従って、そのこと自体は批判に値するとは最初から思っていない。もし新潮社が、十年前に私が公にしたような行為をしなければ、私も特に指摘しようとは思わなかっただろう。しかし『日蝕』の作者が濡れ衣を着せられたと嘘を吐いたことは相当に問題だと、今も考えている。私の現在の見解を申し上げるなら、彼は盗作者ではもとよりないが、平気で嘘を吐く男ではある。

更にこちらをお読みの諸氏に申し上げたいのは、私はこの件にはうんざりしている、ということだ。この比較を最初から公にしなかったのは、そういう分析は読解の一部であり、作品を読みながら普通に行うものだと思っていたからである。残念ながら、そうした読みは期待すべくもない、ということがこの十年で明らかになった。そしてその十年の間に、もううんざりして怒る気にもなれないほどの揶揄と中傷を受けた(中々に愉快な事実なので指摘しておくが、ネット上で真っ先に私を「電波」と決め付けたのは、元新潮社の編集者である英保氏であった)。自分の本にも書いたが、一番重要なのは面白いことであり、事実に即しているか否かを確認しようなどという者はまずいない。そうした騒ぎに付き合う気は、私には全くない。


言うべき事はもう言ってしまったので、この件については、勝手に沈黙するなり問題にするなり無視して誹謗中傷を続けるなりすればいい、ということにしておこう。残念ながら、そういう誹謗や中傷の相手をする気はもうない。意味もなく対立を誇張してマイクパフォーマンスに熱中したがる一部諸氏のプロレスごっこにも付き合う気はない。そういう徒輩には、対象となる作品どころか、上の箇条書きをまともに理解する意思も能力も、根本的にないのが判っているからだ。

質疑応答は、二つの作品から距離を置いた第三者としての読み手から、同様の一人の読み手としての私に宛てられたものにだけ、お答えする。そうした技術を心得た方からの問い掛けは歓迎するが、残念ながら、大半のご意見ご質問には所謂スルーで対応せざるを得ないだろう。

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