« エロってどんなものかしら | Accueil | あんとに庵氏にお答えして »

終結宣言

何を書いてもまともに意味さえ取れない人を相手にしてきたことに漸く気が付き、うんざりして降りたのだが*、議論自体があまりにも醜悪になってきたため、また更に醜悪な差別主義者が馬鹿を抜かし始めたため、一言口を挟ませていただこう。ただし、後に述べるように、差別に関する公共の議論は根本的に無意味であり、社会による調停は必然的に失敗する、という現在の立場から、この件に関して議論する気は全くない。

*前項について私が最後にはてなブックマークを見た時には、少なくとも三人は、どうにか読めたらしい人がいた。sk-44氏はそのいずれでもなく、よりにもよって一番お馬鹿な「スタージョンの法則」でお読みになったらしい——原理的に不可能、可能性ゼロ、が、どうして「スタージョンの法則」なんだ? 誰にでも解るように多少噛み砕いて言ってあげよう——エロを目指す表現とは、性そのものではなく性に向けられてきた既存の言説の中で行われる表現であり、その到達点は最高でも「ウェル・メイド」に過ぎず、それを「芸術」と呼ぶのは、一般に流通するエロ表現の低レベルに対する嘲笑でしかない(ウェル・メイドを侮ってはいけない——それだって到達は結構難しい。そして谷崎はウェル・メイドの帝王だが、表現として「垂直する」にはほど遠い)。性表現が「芸術」の名に値するものになるのは、既存の言説=認識と様々な形で対決しながら事象自体を掴み出そうという不可能な試みにおいてだけだが、そこで達成されるのは絶対的な怪異性(これがどこから引いた表現で何を意味しているかは判るよな? 判らん奴はパスして次に進め、何も期待してないから)へと向けられた表現であり、それは当然、まるでエロくはないだろう(ただし、そうした表現がエロ表現のイディオムとして回収され利用される可能性はある)。

ワーグナーを云々していた奴は、ムードミュージックではない事を肝に銘じた上で「トリスタンとイゾルデ」を十回聞き直し、何を目指しているのかをちゃんと認識するように。その後で「パルジファル」。「トリスタン」が解っていれば、「パルジファル」の途方もなさも解る筈であり、そうなればもうああいう間抜けな発言はしなくて済むだろう。エロいワーグナーなんてカラヤンにでも振らせておけばいいんだよ。奴の「パルジファル」の詰まらん事ったら。

本題に戻ろう。

1.「表現の自由」と「蹂躙からの自由」の調停を図る議論が被害者不在=被害者が現に感じている苦痛不在の議論になるのは醜悪きわまりない。

2. ただし差別の議論における被害者不在は社会における差別の構造に深く根ざしている。公共の場における制約なき議論は、被害者の声を周縁化し、被害者の存在を隠蔽する方向に働く*。つまり、「蹂躙からの自由」の訴えは聞こえなかったことにされ、蹂躙の事実はない、ということにされるだろう。

*学的な場においてさえ、マイノリティ研究者の発言は周縁化され、彼らの存在は隠蔽されがちである事を考えれば(アカデミズムは隠れ差別主義者の巣窟、ってのはどこでも常識だよ)、聖域なき議論の解放の訴えは、社会のそもそもの非対称性に目を瞑った言論のネオリベラリズムに過ぎない。経済におけるネオリベラリズムが、理論としての尤もらしさとは裏腹な結果しか齎さなかったことを考慮されたい。

3. 故に公共の議論は被害者不在の醜悪な議論に帰着することになる。つまりこの醜悪さは差別議論一般の避けがたいコースだ。

4. 従って、差別表現をも含む差別に関する公共の議論は根本的に無駄である。

5. 差別表現と言う「蹂躙」からの自由において被害者が求めるのは、差別自体の即時消滅ではなく、人間としての尊厳の公的な確認である。人間としての尊厳が認められない者には「表現の自由」もない——そもそも蹂躙されていると言う訴えさえ「ない」ことにされる状況において「表現の自由」は存在するのか。故に、被害者は「表現の自由」の部分停止要求をも厭わない。厭う理由がそもそも存在しない。

6. 社会が、それ自体の差別性故に、差別表現の周縁化と差別表現を行う者の指弾の常態化を通じて被害者の人間としての尊厳の確認を行い得ないとしたら、残念ながら法規制の出番となる。現在の醜悪な議論の行き着く先はそこしかないだろう。

7. 現実として可能な展開は逆である——まず法規制によって差別表現は強制的に周縁化され、差別表現を弄する者の指弾は常態化し、そこで漸く社会は被害者の人間としての尊厳を確認し、被害者はまず国家において、次いで社会において、蹂躙に怯えずに生活できるようになる。

とある宙返りの好きな(ただしあんまり巧くはない——勢いは買うが)先生の言ではないが、差別を調停できるのは国家の強制力だけである——残念ながら、これは事実だ。当の国家が糞であるのは実に残念だが、究極の選択と言うなら、公共の議論がものの見事に駄目さ加減を曝け出した現段階においては、私は法規制の方を取る。その後の害についてはその後で対処するしかなかろう。

   *   *   *

さて、差別主義者どもだが——ひとつ差別意識を抱え込んでいる豚野郎というのは、二つ三つと抱え込んでいるものなんだな。宗教差別までしやがる。

まず陵辱で飯を食ってる奴のブログにコメントしているそこの仲良しこよし馬鹿——クリスチャンが進化論についてどういう見解を取っているか、カトリック中央協議会なり日本聖公会なりロシア正教の最寄管区事務局なりに確認を取った上での発言だろうな? 「感じ」じゃ済まないんだよ、「感じ」じゃ。何が「理性ではわかっているんだが」だ。陵辱ゲームじゃあるまいし。確認取らずに書きました、というなら、これは偏見のばらまきだ。宗教に関しちゃ何を言っても、この反宗教感情が瀰漫する国じゃ文句は出ないと思ってました、ってか。尚更悪質な偏見のばらまきだな。女性に対する偏見剥き出しの陵辱ゲームも表現の自由の名において野放しOKってお方は流石に違うね。偉いもんだ。

で、当のご本人だ。無知と偏見もここまで来ればいっそご立派と言うものだ。ここでも読んでちょっとは反省しろよ。無理だろうけど。偏見の犯罪は君の「おかず」であり「飯の種」だもんな。

面倒臭い、という方のために事件を要約しておこう。マルワ・エル=シェルビニという女性がドレスデンの法廷で惨殺された事件だ。

被害者の女性はマックス・プランク研究所の客員研究員の女房で、ドレスデン大学病院の薬剤師。二歳の男の子がいる。で、この子供を公園で遊ばせている時に、真面目なムスリム女性がかぶるスカーフのせいでアレックス W. なる男に絡まれた訳だ。曰く、「イスラム主義者」「テロリスト」何故か日本での報道ではカットされているが「淫売」と言って。実に見事なヘイト・スピーチぶりだ。偏見の垂れ流しだな。で、裁判沙汰になった。ところがこのアレックス W. は何故か法廷にナイフを持ち込んでいて、被害者に駆け寄り、十数カ所滅多突き。上の子の目の前で、被害者は、二番目の子供を妊娠中だったので胎児、共々殺された。七月の一日、みんなして能天気な表現の自由論を弄んでいた最中の事だ。

その先も大問題だ。多分罵倒自体は軽微な罪だったということだろう、法廷に警備員はいなかった。騒ぎになって漸く外から駆け付けた奴は、事もあろうに加害者ではなく、被害者を庇って刺されていた亭主の方を最初に撃っている。死ななかったのは幸いだ。

それって何てエロゲ、ってのはなしにしてくれ。あたしゃその科白にゃもううんざりだ。お前らにとっちゃどんな悲惨も抜くネタか?

この話の教訓はな、偏見は人を殺す、ってことだ。まず何で警備員は加害者ではなくマックス・プランク研究所の研究員を撃った? 一目瞭然、イスラム圏から来た人間だからだ。何故、「一目瞭然イスラム圏から来た人間」を最初に撃つ? 奴らは「イスラム主義者」で「テロリスト」、ってヘイト・スピーチで意識を作られちゃってるからだ。たぶん、見るなり「移民」と認識してるだろうしな。この偏見はどこで作られた? 新聞なりテレビなり映画なりのステロタイプ、記号化した、それ自体は無害だと君らなら言い張るであろう「ムスリム」の表現からだ。そうした表現が一切存在しなかったら? それは無理だとしても、そうした表現がもっと徹底して「周縁化」され「指弾」の対象となっていたら? こっちの悲劇は起らなかった可能性が高い。

で、問題のアレックス W. だ。所謂「民族ドイツ人」(何世紀前に移住した連中だろうと、一滴でもドイツ人の血が入っていれば連中はドイツ人としてドイツに戻って来られる。糞だな)で、自称極右政党支持者。つまりは移民と看做されない移民のナチ野郎だ。それが公園でヘイト・スピーチを弄する。へえ、偏見自体は内心の自由なのかい? ヘイト・スピーチは野放しでいいのかい? 表現自体は無害なのかい? そんなことで法廷に引っ張りだすヨーロッパ人はスターリンで1984なのかい? 宗教的反動的表現規制かい? 結果をご覧じろ——ヘイト・スピーチを弄する奴がどんな奴だったのかを。差別主義者というのがどんなものなのかを。偏見の表現がどんな風に偏見の行動と結び付いていたかを。一応の規制をしていてさえ、これだ。なかったらどんなことになっていると思う? それを踏まえてさえ「バックラッシュ」か?

ちゃんと目を開いてヨーロッパ暮しをしたことがあるなら、これを聞けば明日は我が身と思うんだよ、自分を名誉白人だと看做すほどいかれてなければ。でなくたってこういう事が現実に起きていると知れば、普通はぞっとするんだよ。偏見は最悪人を殺す、殺さないとしても人生を著しく生き辛いものにする。で、考える——差別主義者がでかい面して偏見を垂れ流しにするのを許しちゃならんな。規制やむなしだろう。

表現の自由? ご清談すぎて笑っちまうね。偏見の垂れ流しを前に竦み上がりながら、負けちゃいけないと自分にいい聞かせ続ける人生があんたらに解るのか? 
それからあちこちで「1984年」を引き合いに出してる連中、あの小説じゃ非党員層に対して政府が謹製のポルノグラフィを垂れ流してるって知ってたか? 陵辱物だって山のようにそこには含まれてただろうな。プロレの餌ってのはそういう物なんだよ。それを知った上で言ってるか? 毒餌漬けのプロレが、もっと陵辱を、もっと陵辱をと言ってるのを、党員面した隠れ差別主義者が表現の自由をお題目に被害者不在のご清談で擁護している現状が既に1984なんだよ。

繰り返す。この件に関する議論は今後一切しない。反論があったとしてもお答えはしない。当然トラックバックも受け付けない。無駄だからだ。差別について、根本から差別的な社会で議論をする事は無駄だからだ。議論を通して啓蒙すれば何とかなるというのも幻想だからだ。これまた例の宙返りの先生が言ってる事だがね。バルカン半島差別にさんざっぱら腹を立てている人の言う事だ、差別なんざこれっぽっちもされたことがないであろう言論ネオリベより、私はそっちに信をおくね。

|

« エロってどんなものかしら | Accueil | あんとに庵氏にお答えして »