« 「宇宙戦争」 | Accueil | 劣悪な鑑賞者——トラックバックにお答えして I. »

衝撃の大スクープ! 佐藤亜紀漫画から盗用     か?

エモい代物をエモエモ読んじゃ涙を流すのが胸を張って威張れることになったり、型抜き生産のプロレ向けポルノを文句一つ言わずに消費するのが小洒落た態度ということになったりしているうちに、この世からは小説を読むための最低限のリテラシーさえ失われてしまったらしい。どちらにも共通しているのは恐るべき無恥だ。当然、恥ずかしいとさえ思わないから、無知もまた堂々と蔓延ることになる。

プロレ向けポルノ愛好家は今や、機械の作った小説に簡単に萌えさせられるばかりか(それも十分恥ずかしいが、萌えたというなら仕方がない)、機械に萌えさせられているということを威張る始末だ。こんなに大勢の人間とおんなじ代物で抜いてるんだぞ、って、ずらっと横一列に並んでオナニーしながら威張られたってな。まあ、教師時代に学生から聞いた話じゃ、市場は神、横並びオナニーこそ未来、居並ぶ自涜者の列が長ければ長いほど偉い本、ということなんだが、それを言っている何故か喧嘩腰の若人の澄んだ瞳に、こんなに世の中がよく解ってるぼくって偉いでしょ、褒めて、という訴えを見るのは、かなりグロテスクな経験だったよ。若人は基本褒めて貰えりゃ満足だから、よく解ってるねキミは大人だよ偉いえらい、って褒めてやればそれで済む訳だが、すげえ世の中になっちまったもんだね。実を言うならエモの人も大差はない。人間が涙腺を刺激されるメカニズムなど、萌えのメカニズムとほとんど一緒、眼鏡だの猫耳だのメイド服だのの代りに、難病だの生き別れだの死んだ恋人だのがあるだけのポルノだ。ちなみにエモい人の場合、条件反射以上の対処を要求されると「どうしてもこの小説の世界に入り込むことができなかった」とか言うことになっている。あのさ、小説の世界に入り込むなんざ土台不可能だろうが。あんたら、自分たちが市場に流通する小説の質を著しく劣化させているという自覚はあるのかね?

どちらからも完全に抜け落ちている姿勢がある。小説をどう読んでやろうかという戦略的視点であり、読みながらの書き手との駆け引きであり、その過程における推論と臨機応変な軌道修正の能力だ。書き手の手筋を読むには単なる情報の処理能力だけではなく、それ相応のデータの蓄積が必要となる。昔はどういう手があったか、最新の手はどんなものか、この書き手が選ぶのはそのうちのどれか。データから予測し、実際の動きに合わせて修正し、可能な限りの解釈の逸脱を試み、書き手の働き掛けに動的に反応しながら、読み手は作品に伴走する。それがフィクションを読むという行為に殆ど身体的な快楽を付与する(ちなみにこれは、音楽でも絵画でも映画でも、およそ芸術と呼ばれるもの全てに共通する)。「読む」ことと「書く」ことは殆ど同じであり、読むことがそれまでに閲してきた全ての本の記憶を集約してこれから来る本へと流れて行くとすれば、書くこともまた然り。書き手はそれまでに閲してきた様々な書物やその他の経験を綯い合わせた結び目のひとつとして作品を書き、読み手は読むことで同様な経験の編み目をそこに結びつける。つまり作品とは、人間の記憶の広大な網の目の一点で、読むという疾走を通して、読み手の記憶と書き手の記憶がひとつに結び合う結び目である。

これが、単に萌えたりエモったりしている限りにおいては絶対に目に入ってこない、読むことと書くことの基本的な条件だ。ただ単にエモるためには、作品がいかなる網の目の上に成立しているかは問題にならない。萌えに必要なのは条件反射と市場とのフィードバックだけだ。どちらの目からも、読むことも書くことも既存の作例からなる広大な網の中の一点にあるという認識はこぼれ落ちる。作品は単体で、或いは市場動向の中でのみ存在するものになり、その外側に根を張り必要な要素を汲み上げてくるなどということは理解の外に逐われる。別の作品との関係において意味が成立する間テキスト性という概念はそもそも存在しないか、存在するとしたらいとも簡単に「盗作」ということになる。悲しいかな、サブカルチャー全盛の十年で、読むことと書くことはそこまで退化したのだ。いや、動物化した、と言っておくかな。

長々と書いてきたのは他でもない、別に隠す意味はないからはっきり書くが、2ちゃんねる文学版のスレッド「爆笑の】ラノベ婆佐藤亜紀7【漫画からw盗作?!】」についてである。嘘も百回繰り返せば本当になると考えた脊椎反射阿呆が一人で延々と同じ書き込みのコピー・ペーストを繰り返している哀れなスレッドだが(百回繰り返せばと考えること自体、あまりにも脊椎反射的だ)、削除を要請する気は全然ない。2ちゃんねるというのはそういう場所であり、基本的には見物人もそれを弁えて楽しむ場所だと認識しているからだ。悪口や雑言や罵詈や讒謗が封じられた世界というのも退屈なものだし、ある種の健全な自浄作用が、いつもではないにせよ、働くのも知っている。強姦してやるとか(四十婆をか?)襲撃してやるとか(そんなに痛い目に遭いたいか?)いう書き込みも過去のスレッドにはあったが、実害はない。ただ、六百回繰り返しているのだから本当だろうと考えて、「わかる人にはわかるらしい」と自分のブログに書く人が出るに至って、一言、お断りしておく必要があると考えたからである。

当該のスレッドの大半を占める書き込みは、間テクスト的な参照と盗用を故意に混同した悪質な中傷である。漫画三作品から盗用だと繰り返しているが、挙げられている作品は私が既に『文句がある奴は前に出ろ』で、参照関係を示しておいた萩尾望都の『アロイス』だけであり、六百回を越える書き込みの後にも、残る二作品のタイトルを挙げることには成功していない(ガセを入れている奴は一人いた)。既に種明かし済みのロートとウォーについても、それ以上の検証は全くできていない。つまりは盗用だ盗用だと駄々をこねているだけである。佐藤亜紀の盗用を暴き、賞を剥奪するというのが目的らしいが、いやもう、駄目な奴はどこまで行っても駄目だな。やれるもんならやってみろと言う気にもなれん。


という訳で、匿名掲示板の中傷を真に受けたりしないように、と釘を刺しておくと同時に、あんまり気の毒なんでみんなで手助けしてあげましょう、というのがこの記事の趣旨だ。


残る漫画二作品はこれ、と言う方、具体的な検証に書誌を添えて送っていただきたい。また、ロートとウォーの作品に関しても同様である。実は他にもある。記述のレベルなのか物語のレベルなのか、部分の参照か全体の参照か、どこが同じでどこが違うのか、その結果どういう効果が作品に生じているのか、monk@zag.att.ne.jpまでお送りいただければ、こちらの見解を添えてこのブログで公表する。ただし、あんまり馬鹿なことを書いて寄越すと「今週の恥ずかしい人」ってコーナーを新設して曝すからね。


付記:商業主義的に生産される型抜きエモ/萌え批判、とか、読み手と書き手の関係とかについては、『小説のストラテジー』のバックナンバーをご覧いただければと思います。ご質問はそちらの方へどうぞ。本稿へのトラックバックは歓迎です。

2006.9.18追記:概ねどういう事情か判明したので、この件はこれで〆ということに致します。この門は君のために開けてあったんだけどね。

|

« 「宇宙戦争」 | Accueil | 劣悪な鑑賞者——トラックバックにお答えして I. »

TrackBack


Voici les sites qui parlent de: 衝撃の大スクープ! 佐藤亜紀漫画から盗用     か?:

« 「宇宙戦争」 | Accueil | 劣悪な鑑賞者——トラックバックにお答えして I. »